Tuesday, January 22, 2013

ラウカワ大学、マオリ言語復興の歴史

English translation coming soon!

 122日の午後は、再び国会に向かい、マオリ党マッケンジーさんのオフィスを訪問しました。その後、ポリルアの長老に会ってから正装をし、今日泊まる予定のラウカワ大学があるオータキへ向かいました。

 ラウカワ大学のキャンパスにマラエがあり、ホスト側の人々がマラエの前に並んで私たちを待っていてくれました。ニュージーランドに来てから、初めての経験となる歓迎の儀式、ポーフィリを経験しました。そこで関根真紀さんは、なぜかわからないまま涙が溢れ、儀式中涙がとまらないという経験をしました。マオリの方によると、「それは関根さんの先祖もあなたと一緒にアオテアロアに来てポーフィリに出て、喜んでいるから」とのことでした。私たちは、先祖もこのアオテアロアに自分たちと共に来ているのだ、という考え方に触れることができました。

 夕方からはラウカワ大学のマトゥア・ファタランギさん家族によるマオリ語復興の歴史のレクチャーをして頂きました。マオリの方々がどのようにして言語を復興させてきたかのその当時を知る当事者によるお話は刺激的でした。二風谷で子供たちにアイヌ語教室をしている関根健司さん、真紀さんを始め、参加者はアイヌ語の復興がマオリに比べ遅すぎたことを痛感しました。しかしファタランギさんからは、マオリ語の復興は小さな家から始まった活動であり、30年かけて今に至ったこと、ペパケさんからはマオリ語で「取りに行かなければ、ザリガニは取れない」という諺があることを伝えられ、復興は決して簡単なことではないかもしれないが希望を持って欲しい、という強い想いを頂くことができました。

 夜は同じラウカワ大学の宿舎に泊まりました。一行は、大きめの部屋に集まり、深夜までラタナ・パでの歌や踊りのための練習を続けました。練習では、参加者の出身地域が違うなか、歌のメロディや、振り、歌自体の伝承すら違ってくることに気づいたが、お互いの出身地域と共に他地域のことも尊重しながら、歌う歌を決めたり、新しい歌を覚えようとみんなで繰り返し繰り返し歌った光景は、とても尊いものでした。

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