今日はアオテアロア大学の地域マネージャーであるイヴォン・オブライエンさんから、ンガティ・ファトゥア部族(Ngati Whatua)のバスティオン岬(Bastion Point)をめぐる歴史についてのレクチャーをして頂きました。
Today we had the opportunity to listen to Yvonne O'Brien, regional manager of Te Wānanga o Aotearoa Manukau Campus, speak on the history surrounding Takaparawhau Bastion Point which belongs to the Ngati Whatua.
当時のニュージーランド政府が、マオリのンガティ・ファトゥア部族の人たちとの約束を守らずに土地を奪ってしまったことや、下水道の溜め池を作ったためにその土地の魚介類や自然などの資源も奪われることとなったことを知りました。また、エリザベス女王が来るというので、岬にあったマオリの家などは女王に見せるべきでない醜いものとして許可なく政府が焼却してしまうなどの信じ難い歴史の事実についても知ることができました。
そうして、ついにジョン・ホープというリーダーが、本来自分達の土地であるバスティオン岬を占拠して非暴力で抗議するという運動を開始した当時の写真などを見ながら、平和的な占拠であったことと、結果的に200人以上が強制退去の後逮捕された事実を学びました。
そうして、ンガティ・ファトゥア部族は唯一土地を持たない部族となってしまったこと、しかしそれでも、その後のワイタンギ審判所によってンガティ・ファトゥア部族の申し立てが認められて政府から補償として得た300万ドルを上手く投資し、今では6億ドルを有するアオテアロアで3番目に資産を有する部族になった経緯なども知りました。
また、イヴォンさんは、バスティオン岬占拠事件がメディアによって記録された活動であったという特徴を強調された。テレビや新聞などのメディアを通じて国民に影響を与え、ニュージーランド政府に影響を及ぼすことができたと説明された。
しかし、最も印象的だったのは、イヴォンさんの「しかしンガティ・ファトゥア部族の抱える問題は決してこれで全てではなく、アルコール依存症や、暴力問題などもあり、経済面での取り戻しでは心の植民地化は解決しない。教育面など、このような大学の取組みなども必要です。」という言葉でした。
その後実際にバスティオン岬のオラケイ・マラエまで行き、イヴォンさんの息子エルエニ・ホークさんにその土地にいた人々がバスティヨン岬をめぐる歴史に巻き込まれていった物語を教えて頂きました。
エルエニさんは、「どんなにトンネルの暗闇が続いても、必ず光がその先にある。どれだけ苦しかったか、その痛みは忘れないが、今は光へと前進しようとしている。私たちの子どもが苦しみや怒りをもって暮らすことのないように。」と私たちに話して下さいました。「丘に蹴り上げられた(boot hill)」という言葉は、土地を奪われたンガティ・ファトゥア部族にとって差別的な表現だったが、今ではそれを誇りとして用いているように、ンガティ・ファトゥア部族は痛みを通して強くなったことを語ってくれました。夜は、引き続き、イヴォンさんに頂いたバスティオン岬占拠事件についての映画を観ました。
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