アオテアロア大学でのプレゼンテーションを終私たちは、初めてマオリ語での 幼稚園教育を始めたコハンガ・レオ(ことばの巣)を見学するため 、ホアニ・ワイティティ・マラエ・ファレクラというクラ・カウパパ・マオリ(マオリ語で教育する正規小(中)学校)を訪問しました。
After we finished up with presentations at Te Wānanga o Aotearoa, we headed over to the first ever kindergarten to teach in the Maori language called Te Kōhanga Reo (language nest), and also the elementary and junior high schools next door, Te Kura Kaupapa Māori o Hoani Waititi Marae. Te Kura Kaupapa are Maori language immersion schools where Maori culture and values shape the core practice of the school.
出迎えてくれたのはたくさんの生徒たちと二度目となるウェロ(訪問者の意思確認)で始まるポーフィリ(正式な歓迎の儀式)の始まりでした。前回より多い6人の戦士たちがタヤハ(槍)を持ち、ハカ(踊り)を踊りながら特別なゲストとして私たちを導いてくれました。生徒たちによるマオリ語での歌は迫力があり、すでにマオリの価値観を基礎とした教育のすごさに触れたような瞬間でもありました。
This would be the second time that we had powhiri (welcome ceremony) which began with a wero (challenge) to check whether or not we came with peaceful or warlike intentions. This time there were 6 warriors who approached us holding taiaha (staff) as they did a haka (dance). All of the 50 students present at the powhiri sang to us in Maori, which demonstrated to us how powerful influence Maori-based education can be.
ポーフィリで私たちをホストとして迎えてくれたのは、旅の始まりの頃にお会いしたマオリ党共同党首のピタ・シャープルスさん、そして学校の校長先生のラウィニさんでした。
Amongst our hosts were Maori Party co-leader Pita Sharples who met earlier in our trip and the kura's principal Rawiri Wright.
ポーフィリ後のティータイムでも生徒たちがハカを披露してくれ、ラウィニさんからマオリ語教育の教科書を見せて頂きました。その後は校長先生であるラウィリ・ライトさんの案内で学校を見て回りました。
Following the powhiri was tea time and the students performed a haka for us. Principal Rawiri also showed us some Maori teaching materials.
ラウィリさんからは、「みなさんが今まで見て来てくれたのはマオリ語がしっかりと生きているところです。でもみなさんはまだ学校でどのように教えているかを見ていないはずです。次の世代につながるもののために大切なことは、スピリチュアルなものです。その霊的な魂が私たちを癒す。それがなければ生活を難しくしてしまいます。だからぜひ教育機関を作ってください。ただし魂も忘れないでください。先祖のことを組み込んでいってください。自分達ができるということを信じてください。簡単ではないが、でもそれで受けられる報いはとても大きいのですから。」というメッセージが贈られた。
学校は、5〜18才の小中高と一貫教育となっており、生徒数は162人。全てマオリ語で教えているが、英語と、それから体育と化学だけはその担当教員が英語を話す先生であるために英語を用いて教えられているそうです。
ラウィリさんは校内を歩きながらコハンガ・レオの歴史や、信念、教育設備や教室の様子などを一つ一つ丁寧に熱心に教えて下さいました。
「コハンガ・レオを始めてから27年経った。当初はここ一つだけの施設だったものが今ではクラ・カウパパ・マオリは65校となりました。しかしここが始まりであり、最初は12人の子どもたちと2人の先生、一つの部屋、そしてその子どもたちの親しかいないところから始まったのです。その時の先生に必要だった資格はマオリ語・マオリ文化・自分の心を良く知っていて、教えたいと思っていたことだけでした。今では先生に免許が必要ですが、当時は政府の免許制度を設けるべきとの見解に従わず、政府の、つまりパケハ(白人)の教育方針ではない方法で、その中で落第していたマオリのために自分達がやらなければならないと確信していました。『クラ・カウパパ・マオリ』といい、社会変革の抗議の形の一つであり、文化復興のための闘いであり、魂を復活させる道でもあった。」
「始め、教材は何もありませんでした。でも私たちには心がありました。そして今はこれだけの物があります。親たちも、これから何が起こるのか、自分達が何をするのかわかっていませんでした。ただ、目的だけはわかっていました。不安を抱く親たちへの一番の証明となったのは、子どもが私たちの言語を話し出した時だった。」
「成功の目標は、どれくらいの世代に渡り言語が話せるか、ということです。自分の場合は3世代話せた。ただ、一つ残念なことは親が話さなかったこと。でも私と息子たちと孫は話せます。私の夢は5世代に渡ってマオリ語を話すことです。」
「決め事をする時、自分が参加できることを知らねばならない。皆をリードする人は自分がリーダーであることを知っていなくてはいけない。そして周りがリーダーと認めないといけない。だからこそ皆を組み込んでいかなければならないのです。」
高校の方や図書館には、遠隔地とコミュニケーションをとれるテレビとチャット設備がありました。「ボタンを押せば、別の学校、別の国の色んな人と話ができるようにしてあります。ここにいない先生が別の場所から生徒に教えることもできます。生徒が聞くこともできます。距離は関係ないのです。このような新しいテクノロジーを導入するためにも闘って来た。Noは受入れないで闘い続けました。部分的には政府から援助を受けていましたが、大切なのはここに必要なものがあることです。」「教科書は全て翻訳します。例えば数学の教科書であれば、科目の専門家と言語の専門家が共同で一緒に翻訳に当たります。それは理解があっての言葉でなければなりません。私たちの世界の何かにつながるコンセプトでないといけない。マオリ語言語教育のためのテキストは今ない。最近になりようやく政府がお金を出してくれることとなった。闘いは長く、強い心がないといけません。」
ラウィリさんの言葉の一つ一つは説得力を持ち、子どもたちとその未来のために信じ続けて闘い続けてきた強さに溢れていました。ラウィリさんは、「制度化された差別が存在する。そしてヨーロッパ系の人々は私たちがどれほどのものを失ったのかを理解できていません。私たち自身しか闘う人はいないのです。マオリは迷信深いと言う人もいますが、私たちは先祖の霊を信じています。マオリはサービスを受け過ぎと言う人もいます。でもそれは彼らが私たちが失ったものがどれほどのものか知らないからです。分離主義と言う人もいますが、私たちはマオリの文化を守っているだけだと信じています。」と強調されました。
「私たちは学ぶことに関しては、すごく意欲的な新しいことをやってみることに対してなんのためらいもなく、失敗したら直し、成功を祝い、他の人を尊重できる人であり、先祖と自分、創造主との関係を良く理解している人であり、自分達の部族を誇りに思える人です。あなたたちも同じだと言えますか?」というラウィリさんからの問いかけは、私たちへのとても大きな問いかけでした。
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