2月20日、気づけば帰国までもうあと二日と迫っていました。この日は、テ・マタティニで行われたカパ・ハカ祭のポーフィリ(正式な歓迎の儀式)に出席しました。その後、テ・プイア博物館の見学を行い、夜はワイカト大学のホストによるディナーに招待して頂き、ワイカト大学の言語教育の第一人者でもあるリンダ・スミス教授など多くのマオリ言語復興に教育の面で携わっている方々とお話をさせて頂きました。
テ・マタティニ・ポーフィリ
テ・マタティニのカパ・ハカ祭は、全国の部族地域の中で勝ち抜いてきたトップチームが集い、30分の中でワィヤタ(歌)やポイ(音楽に合わせて手で振る紐のついた白い玉)の演技、ハカを披露し競う大きな大会です。それぞれのチームがオリジナリティを持つプログラム構成と、美しい伝統的な衣装を身にまとい、6ヶ月の練習期間で鍛え上げたパフォーマンスを繰り広げ、大きなスタジアムに観客がひしめくほどの大盛況のお祭りです。私たちはそのお祭りの始まりのポーフィリに同席させて頂きました。各地域から来た長老がコーレロ(スピーチ)を行い、その後に各地域から来た大勢の人々がワィヤタ(歌)を披露するため、長時間のポーフィリとなりました。
テ・プイア博物館
その後私たちは、テ・プイア博物館へ移動し、元館長のテ・タル・ホワイトさんの案内で見学しました。この博物館は部族によって所有される完全に政府から独立した博物館で、館内に認可された彫刻学校などを擁し、学生の作品を博物館ショップで販売も行うユニークな博物館でした。年間50万人の来館者があり、スタッフは100人を抱えるとても大きな博物館でした。テ・プイアの看板にも描かれているように、ここロトルアは間欠泉が湧きでて灰色の泥がボコボコとなる地熱で有名な地でもあります。テ・タルさんは前日ホームステイしていた結城幸司さんに教わった言葉を用い、「全ての創造主の下、アイヌもマオリも美しい。『アイヌ・アナ・クネ・ピリカ』」と語ってくださいました。
テ・タルさんは、「私たちの書き言葉は彫られている」と語り、マオリの口承文芸を彫刻とともに教えて下さいました。案内頂いた博物館のエントランスには、マオリの世界観のランギとパパトゥアヌクの子孫である重要な12のガーディアンを表す彫刻がありました。その中には、私たちが旅を通して学んできた世界創造の物語の子孫タネ・マフタ(森の精霊)を始め、色々な場所で教わってきた数々のモチーフも見られました。
ここは博物館内に三つの学校(木の彫刻、石・骨・翡翠の彫刻、織物)を持っています。その一つの彫刻学校(Te Wānanga Whakairo Rākau/National Wood Carving School)へと案内してくださったテ・タルさんは、「マオリ」はニュージーランド全ての先住民族に使われる言葉だが、それぞれの部族がその住・自然環境によって影響されたそれぞれの彫刻スタイルを持っていることを教えてくださいました。
「それぞれのアイデンティティの存在を続けている彫刻学校」は、ニュージーランド全体から集う若者に、3年間で大卒学位を授与することができ、既に彫刻学卒業生140人を数える実績をありました。ここでの学びの特徴は、大きな家〜小さな家50個作らないと卒業できないことのみならず、彫刻だけを学ぶのではなく、言語、彫刻、踊り、武器など色々なことを学び、それを彫刻に活かしていく学びが実践されていることでした。
実際に隣の織物の学校(彫刻学校と違い学ぶ人は一般参加、Te Rito/National Weaving School)に見学に入った際、彫刻学校の学生が織物を学びに来ていました。「完璧な人とは全てのことをわかっている人」とテ・タルさん。マオリのみ入学を許可している、と聞いて、結城幸司さんは「アイヌは入学できないのか」とテ・タルさんに問いかけていました。
学校スタッフであり彫刻家で入念な仕事をすることで有名なクライグ・ヒューゴさんが校内で作業中でした。参加者は校内の作業風景や作品を自由に見学しながら、ヒューゴさんのお話をうかがったり、作品について質問をしたりしました。ヒューゴさんが学校に入る時、採用試験を受験したが、白い肌なのでマオリとわかってもらえず、証明しなければならなかったことを教えてくださり、「ニュージーランドの人は白人に見えるけどマオリの血を受け継ぐ人がいっぱいいる」とお聞きしました。
翡翠を研ぐ作業所も見学し、テ・タルさんは片手武器を手にとりながら、伝統的には翡翠をつける・持つ人はチーフクラスの人であり、翡翠の武器を持つ人はその武器についてよく知っている人であることを教えてくださいました。また、翡翠を身につけることは、翡翠の石自体が持つ精神性が自分と地とをつなげること、すなわち先祖の精神文化、土地とのつながりを持ち歩くことであることを学びました。テ・タルさんの身につけているポーナム(翡翠)は、母方から継いだ、「自分たちのように闘い続けるサメとなれ」というメッセージを込めたヘミヘイド・シャーク(シュモクザメ)のポーナムでした。
次に博物館のロトフィオ・マラエに向かいました。そこでは観光客用にマオリの歌や踊りのショーがなされていました。「マラエの彫刻は全て私たちです。歌、踊り、彫刻、ストーリー・テリング、全てがないといけません。文化センターだけではだめなのです。観光部分も必要です。ここは観光客の教育のための施設でもあります。」(テ・タルさん)
また、テ・タルさんからここの地についてもお聞きしました。「大切なのは観光客を寄せつけるためだけではなく、ここに住んでいた先祖もここに埋まっているということなのです。」「ここは観光地ですが、お墓の横を通っていることも覚えてください。彼らの許可を得てこういう施設を作ったが、彼らはまだそこに眠っているのです。」
次に南半球では最後の三つの間欠泉のうちの一つ間欠泉トフ(Tohu、「しるし」という意味)を見に行き、先祖が昔から料理や癒しに利用してきた間欠泉資源は、今では違った形で資源として活用され続けていることを学びました。テ・タルさんは「企業家」というこの地域の立ち上がって色々なことをする人々の呼び名を紹介され、政府の助成金に頼ってしまうのは良くない、「自分達で新しいビジネスを考える」という大切なメッセージをくださいました。最後にテ・タルさんは「観光地化されているように見えるかもしれないが、文化を話す場を持っていることだと考えています。ここの職員の98%の人がマオリです。何百万ドルもの経済効果をこれだけでもたらしています。経済的効果をもたらす可能性を持っている場なのです。この地はワイタンギ条約審査委員会で2011年に返還が確定し、心の上でも紙の上でも自分達のものとなった地です。文化をしっかり保つと商業は後からついてくる。」と語り、このメッセージを参加者に持ち帰ってほしいと言われました。
Te Matatini o Aotearoa national Kapa Haka Festival and Competition
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